美味しいロケ現場
映画に惹かれてフランスへ。
フルコースのロケご飯と魅力ある人間たち・・・
映画学校と二人の親友:ファビオ
DATE : 2008-09-01-Mon  Trackback 0  Comment 2
アルザス地方から留学…、いや失礼、上京してきたグレッグに出会う前に、実はもう一つの大きな出会いがあった。200人の中に5人だけ紛れた僕ら外国人軍団において、唯一アメリカ大陸からやってきたのが、ブラジル人ファビオである。本名をファビオ・ブラジルという、それ自体がジョークのようなヒゲ男は、当時19歳ながら、すでに35歳の容貌をしていた。何でもご両親の仕事の都合でフランスに連れてこられたらしい。

入学して間もなく、秋が来る。日は短くなり、気温がどんどん下がっていく。フランス人の色彩感覚は日本とずいぶん違い、白黒グレー、落ち着いた色を好む人が多く、それがシックな印象を与えるのかなぁなどと、やっぱりちょっと服装が違う自分を鏡に写しては、フランス人らにバカにされるんじゃなかろうか、そんなことを考えたりしていた。その頃ファビオはというと、小心な僕の悩みなどお構いなく、蛍光黄緑のシャツ、アロハ柄の短パン、伸ばしっぱなしのヒゲ。コパカバーナ!というような感じでぶりんぶりんしている。おまけに9時の授業には9時45分くらいに入ってくるので、クラス中の視線がファビオに注がれ、皆クスクス笑っている。僕は同じ外国人として、ファビオからしたらいい迷惑だが、何となく気恥ずかしい気分になった。

ファビオ
ワールドカップでフランスに負けたときのファビオ


大学で一度体系的にフランス語を学習をしている僕だが、文章を書くこと、自分のいいたいことを言うことの二点が何となくできた程度で、聞き取りと読みが全くできず、授業は全く理解できなかった。何を言っているか分からないので、ノートをとることができない。聞こえた単語だけを書いても「ノート」にならない、じゃぁ日本語に訳してみれば…などとやっても次々に話題が変わって迷子。1コマ終えると、決まって大きな無力感に包まれ、とても復習しようなどという考えはわかず、テストとなれば0点に近い結果を連発した。

翻ってポルトガル語を操るファビオはというと、フランス語をほとんど学んだことがないのに、先生の言っていることが何となく理解できてしまう。しかも、分厚い本だって勘で読めてしまうのだ。これには大いに嫉妬した。だが、ファビオの欠点は書くことと話すこと。おまけにポルトガル語の訛りがあって、フランス人はファビオの言うことが全く理解できないようであった。

僕らの問題点は凹凸して補い合い、すぐに仲良くなった。授業の合間に時間ができると、いつも徒歩10分の僕の家に行き、お茶を飲んだりした。ただ、フランス人に分からないファビオのフランス語を、僕がちゃんと理解できるわけがない。おまけにこのファビオ、英語も非常に下手であった。身振り手振りで色々会話するのだが、よく分からない。おやつを食べたりして時間をつぶす。お互い通じないが一生懸命。ジャズ系の音楽が好きなのが共通項で、一緒に聴いたりして、夜は緒にパーティに繰り出したりして、本当によく笑った。

「外国人だから」というのは、煩わしい面も大きい分、考え方によっては非常に強力な武器であり、僕らはこれを有効活用した。訳の分からないフランス語を駆使して周囲を巻き込み、いつだって僕らのペースに持って行くよう頑張った。そうして二人三脚して、友人でありライバルという関係が生まれた。

あれから4年たって、すっかりフランス語が上手になった僕らの中に今もあるのは、「フランス人には負けない」という雑草魂である。困った僕らをいつも助けてくれたのはフランス人だったが、彼らの中で思うように表現できず、苦い経験もたくさんした。ファビオは今、映像作家として小さな企業ビデオなどを撮るまでに成長。僕もそれを技術的に手伝う傍ら、撮影助手としてプロの現場に入り込んだ。そして現在、二人は「滞在許可証」という大きな壁に直面し、もがいている。それぞれに解決策を見出し、結果を待っているところである。

グレッグと並び、僕のフランス親友の一人である。僕ら3人の間にはいつも、いつの日か3人とも別々の国で人生を過ごすかもしれないという緊張感がある。だからこそ今を楽しもうと思って、暇があってはそこいらをブラブラし、相変わらず笑って笑って笑っているのである。

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映画学校と二人の親友:グレッグ
DATE : 2008-08-14-Thu  Trackback 0  Comment 0
映画学校に入って間もなく、アルザス地方はストラスブール出身のグレッグという男と仲良くなった。

ドイツに占領されては奪還するという歴史を繰り返し、今も同胞のフランス人にさえ、「いや何を言うんだ君、アルザス地方は僕らの仲間になったんだ」などと、どうも「元をたどればガイジン」みたいに言われることが多いアルザス地方。例えば、実際はそんなに寒くないのに「アルザスでは冬になると大雪で車が走れない」というように思われていたりする。東方へ、遠くライン川のほとり、ドイツ人のような言葉を操る民アルザス人。そこでは、人は日々シュークルートという名の山盛り豚料理をほお張り、ビールを飲んでは踊り、楽しく暮らしているらしい。へぇアルザスから来たのか、遠いところをご苦労様です。…彼らはそういうステレオタイプを頭から被り、「パリジャンは気にくわねぇ」と、アルザスへの愛郷心と首都羨望の狭間で生活しているのである。それは丁度僕らが、毎日魚を生で食べ、空手や柔道を愛し、ルイ・ヴィトンを買うため群れをなし、過激なアニメに傾倒し、仕事のストレスから日々自殺のことだけを考えて生活していると思いこまれ、「いや、違うんです、確かにそういう面もあるけれど、僕の人生は少なくとも、はい、少しだけチガウ」などと弁解してやまない、この痒い思い。アルザスの民は、これを共感してくれる、数少ないフランス人なのである。

グレッグ
日本に遊びに来て、大阪の親友と妙に打ち解けあったグレッグ



映画学校に入る前の二年間、外国語大学に在籍しただけあって、体系的に日本語を学習したことが一度もないとは思えぬほど、グレッグは流暢に日本語を操るようになった。僕がフランス語に興味を持ってどんどん言葉を吸収していくのと、ちょうど同じ要領で学んでいるようなのである。未だ平仮名の「あ」すら書けないが、例えば初対面の日本人に向かって、「カベニミミアリ、ショジニメアリ」などと、良いタイミングで言い放ったりする。面白くなって色々教えている内に、「グレッグ弁」みたいな新しい日本語が生まれ、それは二人の間で隠語として機能するようになった。例えばパーティに呼ばれた時など、

「シロオンナ(金髪の女)、トッテモワルイ、アタマ!」
「カナメ、イクジナシ、ハズカシ」

という按配である。

このグレッグ、映画学校を首席で卒業した優等生。僕の3年間は彼のノートをコピーすることに一生懸命で、それだけでフランス人の中にいてもまぁまぁの成績で修了することができた。そして僕が照明から現場の門を叩いたのも、照明技師になりたいというグレッグの情熱に押されたところが大きい。2年生のころ、同じ時期に違う機材屋で研修をし、別々に現場でのコネを作っていった。僕が本望のカメラに移ってからは、些細な企画ではあれど、プロの枠で少しづつコンビで仕事を受注するようになってきた。卒業から1年、すぐに現場で仕事が出来るようになったのは撮影コースで3人だが、その中に撮影の僕と照明のグレッグが一緒に入っているのは、友人として助け合った結果であるし、ライバルとして切磋琢磨したお陰である。忙しくなると、友人として以上にプロの付き合いにならざるを得ないことがあり、喧嘩することも多いが、このバランスを保ちつつ、二人でフランス映画を担う新しい世代に貢献できたらいいなぁ。なんて。

次回は、映画学校でのもう一つの大きな出会いを紹介したい。
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映画学校と二人の親友:選んだ学校
DATE : 2008-07-30-Wed  Trackback 0  Comment 0
僕の通った映画学校は、学年200人超で、パリの映画学校の中では最も規模が大きい。日本人1人、韓国人2人(1人は即中退)、中国人1人、ブラジル人1人、あとは全員フランス人であった。パリには他に、「インターナショナル」と名のつく映画学校もあり、そこでは外国人が学び、英語での授業さえ行われていて、中国に新校舎を建てたりしているようである。純フランス学校を選んだため、ここでは言葉が出来なくても一フランス人として扱われる。だからテストでは20点満点の3点や5点などを連発し、友人と朝の挨拶をかわすのさえ億劫になって、「留学」という言葉から想像できる通りの苦労をした。せっかくならインターナショナルな学校にすればよかったのに、と思われるかもしれない。実は日本で大学に通っていた頃、メールで様子を伺っていた現地の日本人の方がいて、彼女がこのインターナショナルな映画学校を出ていたため、先輩と全く同じことをしてもなぁ…という気分と、せっかくアメリカじゃない国で映画をやるんだからなぁ…という気分とで、あまり迷うことなく、純フランス学校を選んだのだった。

そうした中、本当に運が良かったなと思うのは、卒業後も映画の現場で仕事を共にしている二人の親友に、かなり早い段階で出会うことができたことである。今回はその一人を紹介しようと思う。

「おまえどこ住んでるの?」
「Conventionテイウトコデス。」
「あぁそう、それならあいつもあっちにすんでるらしいよ。おい、グレッグ!」

ということでヘラヘラと寄ってきたのが、別のクラスだったグレッグである。彼の顔を見てすぐ僕は、遠藤周作の『おバカさん』(角川文庫)の表紙を思い出した。背がぬらりと高く、いかにも「ガイジン」といって日本人が想像しそうな顔をしている。

おバカさん

ストラスブールという東方の偏狭から上京してきたばかりの彼もまたパリでは異邦人であり、人の輪が出来ていなかったというお互いタイミングから仲良くなった。

(つづく)
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機材屋での研修
DATE : 2008-06-23-Mon  Trackback 0  Comment 1
照明パートを離れ、カメラを扱う撮影部へと完全に移動してからしばらく、仕事がほとんどなくなって途方に暮れた。専門学校の3年間も無事に修了してしまい、学生ビザ延長のために大学に編入するも、「映画の現場で仕事をしたい」という動機でフランスに残っているはずが、「ビザのためだけに登下校を繰り返す」という悪循環にはまりこんでしまった。何とか前期の試験までは辛抱して通い続けたが、のびのびと現場に入っていく専門学校の友人たちを羨ましく眺め、「なぜ僕だけが、外人であるが故にこんな苦い思いをせねばならんのだ」と強く感じるようになってきた。

Numericable のCM
横長のセットで…

そんな頃である。カメラ・メーカー最王手PANAVISION、レンタルハウスでの研修の話がきた。星の数ほどあるフランスの映画学校、そこで撮影を学ぶものなら誰もが一度は履歴書を送る名門。照明のアシスタントとして現場で働き始めた2006年から、何度も履歴書を持ち込んでは断られてきたのだ。

ただ、僕にはこれを躊躇する理由があった。一ヶ月の不登校は、来年度の学生ビザ更新を断念することを意味する。海外生活での第一の大きな壁は、「学生から長期滞在者へ」の身分変更であり、この時点で僕には、何の当てもなかった。残りの半年で、何かきっかけが見つかるだろうか。これが一番の賭けとなる点であった。

それに加え、現実的な問題として、一ヶ月の無給研修を受け入れるのは苦しかった。電車賃も、食費も、何も出ない。この研修、色々な見方があるが、一言で言ってしまえば、「機材屋に一ヶ月間公式に居座ることが出来る」というプログラムである。確かに僕の担当者は存在するが、彼らが僕にはりついて何かを教えてくれることはない。機材屋で行われる全ての活動を妨げない範囲で、自主的に観察することで学ぶ、これが研修の一日である。

Numericable のCM
横移動… すること120回以上。

気が進まないまま開始した研修だったが、それまでに見てきた全ての撮影の総復習として大変勉強になったし、多くの技術者との再会の場となった。そして研修の最終週、期間中に出会った撮影助手に誘われ、CMの撮影現場へと再び足を踏み入れることにつながった。不安は拭えない。大学を中退するという決断は、海外生活の終止符を打つことと同義語かもしれない。

ただ、現場に入ることを夢見てここまでやってきたので、やっと転がり込んできたチャンスを、みすみす見送るようなことは出来なかった。新学期が始まり、友人の中には「登録くらいはしておけ」「試験くらいは出ておけ」と忠告てくれる優しい者もいたが、やっと仕事が始まったという歓喜に逆らうことなど到底できず、電話が鳴るたびに、雨の日も風の日も、僕はカメラのある場所に足を運んだ。

できあがりはこちら。アシスタントとして参加した Numericable のCMです。div>
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アンテルミトン憧憬
DATE : 2008-04-29-Tue  Trackback 0  Comment 0
映画学校を出てから、気になるのは同級生の進路。最終的に「映画で生活していく」という目標にたどり着けるのはほんの僅か。200人の内、業界に残れるのは1割に満たないのではないだろうか。その中でも、現場の花形・撮影部に残るのは至難の業であり、撮影コースの中で生き残るのは1人か2人くらい。「あいつがあの映画の現場に入ったらしい」なんていう噂話が気になって仕方がない、映画学校卒一年目。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その1


フランスには「アンテルミトン・デュ・スペクタクル」(Intermittent du spectacle)という、映画技術者や役者など、不定期労働に従事するアーティストを保護するシステムがある。企業に勤めている人に有給があるのに、フリーの人にないのはおかしい、という、いかにもフランスらしい発想だ。基本週35時間以上の労働ができないこの国の法律の中で、10ヶ月の間に507時間の労働を達成した暁には、仕事と仕事の谷間に失業保険を出してあげましょう。それがアンテルミトン・デュ・スペクタクル。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その2


アンテルミトン・デュ・スペクタクルといえば、フランスでも「なんとなくヤクザな仕事」というイメージがあり、家のローンが組めなかったり、クレジットカードの作成の際に審査が厳しかったりする。だが、実際のところ、普通にお勤めをする以上に失業保険で稼げてしまうという見かけ上おおいに矛盾したシステムである。映画学校を出て皆が気になるのは、「誰がいち早くアンテルミトンになったか」ということだ。アンテルミトンになる=映画で食っていく、ということにつながる。

3ヶ月の撮影を1本やればアンテルミトンになれる計算。特に駆け出しの身分の場合、仕事が数ヶ月入らないということもザラなので、その間に、毎日喫茶店でアルバイトをする以上の収入を、何もせずに得られるというのは有難い話である。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その3


クラスの中ではいち早く現場にもぐりこむことに成功した僕は、この507時間という壁をクリアできたのだが、アンテルミトン身分を得ることはできない。なぜなら僕は、ガイジンなのだ。もし僕がフランス人なら、今頃両親からの仕送りを断ち切って、社会人として自立できていたのだが、アンテルミトン制度への掛け金を給料から天引きされるだけで、それを享受することができない。おまけに、仕事のない時間は滞在許可の関係で、意思に反して大学に通学したりしている。校舎の窓から見上げた先はいつも曇天だ。こんなにフランス語が上手になっても、仕事が少しづつ入るようになっても、僕はやはり、ガイジンなのだ。

留学生から、ガイジンへ。
サナギの殻の外側は、思っていた以上の寒さである。
僕は、みんなと違う。

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Tricky の新作「Council Estate」の特別サイトが出来たようです。もうすぐテレビでも放送されるんじゃないでしょうか。自分が照明を当てた作品が世に出るのは初めてのこと。楽しみです。
http://knowlewestboy.com/

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