美味しいロケ現場
映画に惹かれてフランスへ。
フルコースのロケご飯と魅力ある人間たち・・・
アンテルミトン憧憬
DATE : 2008-04-29-Tue  Trackback 0  Comment 0
映画学校を出てから、気になるのは同級生の進路。最終的に「映画で生活していく」という目標にたどり着けるのはほんの僅か。200人の内、業界に残れるのは1割に満たないのではないだろうか。その中でも、現場の花形・撮影部に残るのは至難の業であり、撮影コースの中で生き残るのは1人か2人くらい。「あいつがあの映画の現場に入ったらしい」なんていう噂話が気になって仕方がない、映画学校卒一年目。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その1


フランスには「アンテルミトン・デュ・スペクタクル」(Intermittent du spectacle)という、映画技術者や役者など、不定期労働に従事するアーティストを保護するシステムがある。企業に勤めている人に有給があるのに、フリーの人にないのはおかしい、という、いかにもフランスらしい発想だ。基本週35時間以上の労働ができないこの国の法律の中で、10ヶ月の間に507時間の労働を達成した暁には、仕事と仕事の谷間に失業保険を出してあげましょう。それがアンテルミトン・デュ・スペクタクル。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その2


アンテルミトン・デュ・スペクタクルといえば、フランスでも「なんとなくヤクザな仕事」というイメージがあり、家のローンが組めなかったり、クレジットカードの作成の際に審査が厳しかったりする。だが、実際のところ、普通にお勤めをする以上に失業保険で稼げてしまうという見かけ上おおいに矛盾したシステムである。映画学校を出て皆が気になるのは、「誰がいち早くアンテルミトンになったか」ということだ。アンテルミトンになる=映画で食っていく、ということにつながる。

3ヶ月の撮影を1本やればアンテルミトンになれる計算。特に駆け出しの身分の場合、仕事が数ヶ月入らないということもザラなので、その間に、毎日喫茶店でアルバイトをする以上の収入を、何もせずに得られるというのは有難い話である。

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コマ撮りアニメーション部分の撮影を担当した、Tricky の新作「Council Estate」 その3


クラスの中ではいち早く現場にもぐりこむことに成功した僕は、この507時間という壁をクリアできたのだが、アンテルミトン身分を得ることはできない。なぜなら僕は、ガイジンなのだ。もし僕がフランス人なら、今頃両親からの仕送りを断ち切って、社会人として自立できていたのだが、アンテルミトン制度への掛け金を給料から天引きされるだけで、それを享受することができない。おまけに、仕事のない時間は滞在許可の関係で、意思に反して大学に通学したりしている。校舎の窓から見上げた先はいつも曇天だ。こんなにフランス語が上手になっても、仕事が少しづつ入るようになっても、僕はやはり、ガイジンなのだ。

留学生から、ガイジンへ。
サナギの殻の外側は、思っていた以上の寒さである。
僕は、みんなと違う。

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Tricky の新作「Council Estate」の特別サイトが出来たようです。もうすぐテレビでも放送されるんじゃないでしょうか。自分が照明を当てた作品が世に出るのは初めてのこと。楽しみです。
http://knowlewestboy.com/

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映画学校を出たものの
DATE : 2008-03-31-Mon  Trackback 0  Comment 1
滑稽なる映画学校での3年間も無事に終了。しかし、映画学校を出たからハイ映画人、というわけにはいかない。映画学校を出た若者の多くが、仕事を見つけることができず、結局大学に登録しなおして映画理論を学んだりしているのが現状である。僕はといえば、映画学校の中では早めに動き始めたほうなので、とりあえず不定期な撮影の仕事をちょこちょこやれそうだ、という感じであるが、経済的に完全に自立するには、もう少し時間がかかりそうだ。

それよりも問題なのは、学生でなくなった今、どうやって海外に残るか、という話である。たとえバイリンガルといえど、人生の友人の半分がフランスにいようと、外人であることには変りない。ほんとうかしらんと思ってパスポートを久しぶりに開いてみたが、やっぱり国籍は日本のままである。鏡を覗けばやはり、まっ黄色な自分が、ひとえまぶたの奥から小さな目で僕を見つめている。滞在許可証がほしい。そんな目で見るな俺を。

ということで、僕も例に漏れず、大学に入学しなおした。26歳の大学二年生である。学費がタダであること、入学試験がないこと、気分はソルボンヌのエリート、みたいなところがありがたいが、学び舎に群れる若者の学生証には、1989年生まれと書いてあるあたり、ううーん、ドラゴンボールを知らない子供たち、僕のとは違う世界であることに変わりはない。

学校なんて行ってたまるか、という不良精神を厳めしく額に刻んで入学したものの、時を同じくして仕事がなくなった。家で失業をしていると、精神衛生上ろくなことがないので、仕方なく、89年の若造たちとカフェテリアで自販機の茶を啜り、必修の英語に出たりする。まるで牢獄。アスベストに蝕まれた80年代建築の、緑なネオンに照らされたヘンテコリンな校舎の窓から、曇ったパリの空を見上げてみたら、なんだか窮屈な気分になって、なんでこんなとこへおるんかしらんと思って、1981年生まれの僕は、そんな悩みを若造に聞いてもらうでもなく、雨の中自転車で登下校。登下校につぐ登下校。絶望的なる登下校。

それも馬鹿らしくなって、もじもじしていたが、やはり解決策はみあたらじ。どうすればもらえるでしょう滞在許可証。仕事も不定期的すぎて困惑。学校は牢獄みたいですし。

とまぁ、そんな、留学生活にありがちなしんどい期間が始まったのである。

(つづく)


ザジの新曲の撮影、カメラアシスタントで入りました。


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もう少し映画学校の話を続けようと思う。
DATE : 2008-01-25-Fri  Trackback 0  Comment 0
映画を撮りたいなぁなんて心の中で思っていても、人を動かす力がなければ映画はできない。そこが映画とその他多くの創作活動との決定的な違いで、四半期に一本、なんて簡単に作品を残していけないのが苦しいところである。もちろん、今はカメラも手軽に回せる時代なので、形だけならいくらでも量産は可能だが、少しでも質を求め始めると、どうしても時間がかかってしまう。

映画学校は「学年末にみんなで映画を撮りましょう」とシステム。各自が一本づつ撮るのではなく、学年250人の中で選ばれた数本が制作の対象となり、残りの生徒がポストを争うという形式である。選考はまず、友人で組まれたグループ内で仮選考を行い、次に指導教官の判断を仰ぎ、最後に学校長が決定を下す、という流れをとる。

留学生として一番難しく感じたのは、最初の「友人で組まれた」という部分だ。「同僚=敵」であり、かつ「同僚=撮影仲間」。たとえばこれが作文のコンクールなら、表彰の結果だけが友人のライバル精神を刺激するので制作の効果はむしろプラスだと思うが、この映画学校のシステムの場合、作品の質よりも「いかに友人を納得させるか」、「もっともらしく言いくるめるか」が大切になりすぎて、いわゆる政治が始まってしまうのだ。

政治といっても、女子中学生の派閥作りみたいに下らないことばかりだが、そこをどうにか乗り越えないと、学年末作品ではお茶係になってしまいかねないから、ニコニコしたり一緒にカフェに行ったりするのにも必死なもので、ほんとに下らない、とほほ。誰が何を思っているのかが、さっぱり分からない。何が面白いのか、何が駄目なのか、まったく見えなくなってしまう。面白いと思っても、面白くないような気がしても、フランス語が分からないせいで意味を反対に取り違えてしまっているのではと不安になってしまう。たとえばグループワーク、この全会一致の微笑みの真意は一体、何なのだ…。ガイジンな僕はこうして、いつも途方に暮れていた。

だから、映画学校で学んだのは、言葉が分からない中で女子中政治をやることの難しさだったし、どうやって自分を周囲に認めてもらうか、ということだった。一人でできる創作活動を羨ましく思ったりもした。僕が撮影技術パートに流れていったのは、こういう背景が大きかったと思っている。国や文化が違っても、フィルムを感光する空は母国と同じように青いという有難い現実に、全力でもたれかかってみようと思ったのかもしれない。

つくづく、格好つかない自分。滑稽な留学。ひいては滑稽な人生。

                  *

それから2年後、現場でインターンとして顔を出すようになりました。
テレビドラマ『ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢』の現場風景。
ヴェルサイユ宮殿に1ヶ月閉じこもって撮影。

ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢
鏡の間。

ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢
の裏には僕の担当機材が…。

ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢
朝も夜も。

ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢
外も。雨が降って大変だった。

ヴェルサイユ宮殿〜太陽王の夢
沼でも。自然は過酷だなと感じた撮影でした。
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いちおう映画学校を出たことですし、1年生時代のお話を。
DATE : 2007-11-19-Mon  Trackback 0  Comment 1
映画学校という場所は、語学学校の何倍も他人とのコミュニケーションを求められる場所だ。言い方を変えると、決して一人にさせてくれない。短編映画の制作、種々のグループワーク。言葉が分からくても相手は人間、いざとなればジェスチャーでどうにでもなるだろうと思ってた。

が。

5人、あるいは10人で何か一つの題材について議論した場合、彼らは会話に混入している「異物」への配慮を忘れてしまい、方言、俗語、専門用語、あらゆる難語が飛び交って晦渋。この状態になると、僕の疲労は加速度的に膨張。30分もすれば簡単な会話も理解不能となり、マバタキの回数は毎秒 28回を数え、脳が頭蓋骨の中で激しく前転を始める始末。

「でしょ?」

ん?何の「でしょ」なの、これは?ふと我に返ると、5人が真剣に僕の反応を待っている。いや、いやいや、おいちゃんね(みんなより3つ年上)、何にもワカンナイ。あんたらの会話。

「んー…、OUI!」

なんて星のような笑顔で返答。途端に怪訝な表情になる5人。え、え。ウィは不味かったか?ぐぅ、どうしよう。かといって今更、ノンに切り替えるわけにもいくまい。じゃぁどうする。どうしたらいいですか。なんであなたはバベルの塔なんかを。

と、この間わずか0.6秒。とりあえずいつものヤツ!ということでお決まりの笑顔。音声も挿入して。ガハハ・・・何なら、そこからもう一段口を縦に開き、 あぁ笑いがとまらねぇよ君達、我輩留学生は非常に愉快だね。君ら最高。西洋最高。おもしろい。

・・なんてことをやってのけたもんだから、深淵めがけてまっ逆さまに墜落していくその場の空気。水いらずの関係に注ぎ込んだ樽いっぱいのミネラル・ ウォーター。あぁオジサンどうしよう。

「じゃ、オシッコしてくるわ。ガハハ。」

ってもう、ここまで来たらどうしようもなく。こんなストレスを日々抱え、それでも愉快に乗り切ろうなんて、健気な学生だった僕。

それでもこうやって卒業して、フランス語を流暢に操れるようになったのは、やっぱり映画学校の皆の愛情あってのことだと思うのです。映画学校で学んだのはフランス語。映画は… これから頑張ろうと思ってます。


(CM)Carambar qu'est ce qu'on se marre 
かなりくだらないですが、初めてやったCM。 
これでも、テレビで見たときはそれなりにうれしかったもんです。 

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現場の人たち
DATE : 2007-08-24-Fri  Trackback 0  Comment 0
機材屋にいた頃から、映画照明の世界について笑い話ばかり聞かされていた。あの技師が怒って何を壊しただの、誰が誰を口説いただの、現場の逸話によって浮かび上がる照明技師のステレオタイプは、職人気質で好色な荒男。失敗すれば殴られる、罵倒される、そんな世界を想像し、変に緊張していたのだが、実際にドラマの撮影に入ってみると、全然違って驚いた。

まず、現場の人は非常に優しい。

笑顔が眩しい。

ぎりぎりと歯軋りしながら照明機材をぶんぶん振り回し、子分をぶん殴るのかと思っていたら、アラアラ、皆さん非常に優しいのには驚いた。撮影途中からの参加となった僕に、「あれ、君は何をしているの?」と声をかけるスタッフ。「こいつはわざわざ日本から来て、毎日毎日スタジオ前に来て頭を下げるもんだから、俺たちも受け入れざるを得なかったんだよ、ガハハ、皆よろしく」と僕を好意的に紹介してくれた。

CM撮影
食器洗い手袋MAPAのCM撮影1 ミニチュアです。


照明のチーフが僕に言った。

「何にしても、強く欲するというのは非常に大切なことだよ。」

僕が機材屋にいた頃は、現場周辺をうろうろする僕に、「お前、誰だ」といっていた助監督の人も、ここでは一変、「お前、よくやったね」と褒めてくれる始末。

仕事においても、「お前、機材屋にいたのにそんなことも知らねぇのか!」と怒鳴られることがないよう、少ない知識を精一杯役立てようと意気込んでいたが、「お前はまだ何も知らなくて当たり前だから、みんながどうやってるか見てればいいよ」と、優しい感じ。それどころか、「フフフ・・・要、スタッフの中で一番かわいい女性は誰?二番目は?ガハハ」といった感じで、爆笑の日々なのである。日本に興味がある人もたくさんいて、居心地いいことこの上ない。

CM撮影
食器洗い手袋MAPAのCM撮影2 人形遣いさんが手で出演。


仕事もサクサクとこなす彼ら、プロってすごいなぁ。しばらくしてお手伝いを出来るようになってきた。前述の通り、飯もウサギが出てきたりして美味しいし。あっという間に食いしん坊のレッテルを貼られる。楽しいなぁ撮影。嬉しいなぁ撮影ご飯。面白いなぁ毎日。

照明の光量を抑えるために、網状の黒布をかけることがあって、この布を「タルラッタン」というのだが、これをトラックから持って来いと頼まれた。チーフに渡す際、僕は聞き慣れない単語を思い出すことができず、T や L やらの印象もおぼろげに、

「はい、タルトレット!」

と絶叫してしまった。そしたら皆が大笑い。何でかなと思ったら、タルトレットというのは、僕がいつも昼ごはんの時にがつがつ食べている、小型のタルトのことだからであった。あの美味しいタルト、タルトレットって言うんだ。

このチームとは7ヶ月後にもう一度仕事をしたのだが、彼らの間では今も、あの布を「タルトレット」と呼んでいる。

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