暇な休日といえばサッカーである。
昼の3時、4時に始めるのが通例で、その時間までになかなか起床できない怠惰な友人ファビオは、ブラジル仕込みのサッカーを披露したいと願うもなかなか参加できない。今日は2時に起きることに成功したらしく、なんとか4時半ごろ到着した。アロハシャツならぬ、アロハ短パンみたいのを履いて。ねぼけまなこをこすりこすり。
さっきまでのギラギラした太陽はどこへやら、突然の驟雨。木の下に身を隠す。僕はというと、撮影用に前日購入した防水ジャケットの効力を試すべく、わざわざ雨に打たれる。濡れているが、実は濡れていないオレ。ふふふ木の下の愚人どもよ。わたしは水に濡れません。
雨やんで、地固まるまでもなく再開。地元の不良たちが我が脚技をとくと観るがよいと言わんばかりに玉を蹴り始めた。適当にチームを作り、わーわー戦う。あーもう走れない。ファビオと僕は、金曜日に迫った撮影の話をするため、我が家へ。玄関の前できちゃない靴を脱ぎ、すぐにシャワーを浴びて、お茶を飲む。ぷはぁと。
「あ、ない!ないないない!」
ファビオが鞄の中を漁っている。この「ないないない」こそ、見慣れた日常風景。ファビオと一日一緒にいると、こうして「ないない」と体中を探し回り、問題の財布は必ずどこかのポケットに入っている、ということが何度もある。あぁまた財布か。
「ないない!めがねがない!」
今日はめがねらしい。
「ないないー」
「みえないー」
今日はいつもよりないないが長い。
「お前、どうせ家に忘れたんでしょ」
「いや違う、ゴールの横でたしかに柱のところへ置いた記憶がある」
「まさか忘れないでしょう」
「いや、自分のことです、忘れたに違いない。ないないない」
5分後。
もう動かないファビオ。
「今日は人生で一番哀しい日だ」
もう動かないファビオ。ちわわのような目で僕を見ている。
「わかったよ、一緒にグランドいって探せばいいんだろう」
「来てくれるのか?おおお」
「嫌だなぁ。寒いし。遠いし」
***
夜のグランドは、どんよりとした闇に包まれていて、どこか薄気味が悪かった。
「一人で来てたら大変だった」
「あぁ、こんな恐ろしい場所へ」
懐中電灯を照らし、茂みの中を歩く。
「確かここで小便をした」
「はやく見て来い」
ごそごそ
「ない。ないない」
次は木の下へ。
「ここが一番あやしい」
「ない。ないない」
どーん。どーん。どこかで誰かがボールを蹴るような音がする。
「誰かいるんじゃないか」
「電灯を消せ」
「悪い人かもしらん」
グランドに出てみるが、誰もいないようだ。
「気味が悪いな」
さっきゲームをした別のグランドに移る。

「あー!」
ファビオが見つけたのは、10枚入りレストランのお食事券。の、抜け殻。
「あぁ…」
「お前のか?」
「会社の昼飯手当てが、10日ぶん盗られてしまった」
「それは哀しい」
「あぁ私は本当に馬鹿です」
とぼとぼ歩く。
観客席のほうも歩く。
「ないなー」
「ないない」
「要!」
「ん!」
いそいで手の懐中電灯を消す。乞食が寝ていたのを起こしてしまった。
「すみません」
早歩きで逃げる。
どーんどーん。誰もいないのにサッカーの音がきこえる。
「何か気味が悪いなここは」
「しっ!」
「どうした」
「今、誰かが咳をしたのが聞こえた」
「嘘だ」
「ほんとだ」
「逃げよう」
「一目散」
***
外。
「それにしても、気味がわるい」
「ホラー映画でも書くか」
「いいね。殺人事件でもいい。」
「とある夜」
「とあるサッカー場」
「乞食は見た」
「野外セックス中の不良カップルは見た」
「グランド前に聳え立つアパートの住民の一人は見た」
「そして、眼鏡をさがすブラジル人留学生と日本人は見た」
「がははそこがオリジナル」
「不気味なサッカーボールの音」
「おおお、おそろし!」
「ところで彼らは何を見た」
「殺人でしょう」
「殺人じゃぁ面白くない、UFOだ」
「UFOじゃぁ面白くない、もっとすごい怪奇現象だ」
「犬を見た」
「がはは。鳥を見た」
「がはは。白黒テレビの不法投棄をみた」
「がはは。ブラジル人の国外撤去の紙をみた」
「がはは」
しーん
「今日は人生で一番哀しい日だ」
「あ!」
道端に、キレイなDVDの棚が二つ。
「おれ、これもって帰る」
「おれも」
「おい、真似か!」
「だって二つあるじゃないか」
「そうだな」
「折半であるよ」
「承知」
よいしょ。
「重いな案外」
自転車の僕。
「これをもって帰るのは至難の技だ」
「みろ、こうやってこう」
「なるほど」
「賢いファビオ」
「じゃぁファビオ、オレはここで引き返す」
「え、メトロまで送ってよ」
「やだよ棚が重いから」
「来てよ」
「やだよ。ってメトロ、こっから見えてるじゃんあれだよ」
「見えないよ」
「だって眼鏡がない」
「がはは」
「とほほ」
「まぁいいや、今日は棚が手に入った」
「そう、この棚と眼鏡とお食事券セットを交換したのさ」
「割に合うかな」
「合っているよ」
「じゃ、また来週」
などと言って別れたのである。
***
帰宅。
棚を持って階段を上る。
あ。

玄関前。靴を脱いだ時か。
あまりに滑稽なので、携帯で写真を撮る。
おしっこおしっこ。
トイレに入ると、汗まみれなファビオのTシャツが放置されていた。
シャワーを浴びた時か。
本当に何本もネジが抜けた男である。
昼の3時、4時に始めるのが通例で、その時間までになかなか起床できない怠惰な友人ファビオは、ブラジル仕込みのサッカーを披露したいと願うもなかなか参加できない。今日は2時に起きることに成功したらしく、なんとか4時半ごろ到着した。アロハシャツならぬ、アロハ短パンみたいのを履いて。ねぼけまなこをこすりこすり。
さっきまでのギラギラした太陽はどこへやら、突然の驟雨。木の下に身を隠す。僕はというと、撮影用に前日購入した防水ジャケットの効力を試すべく、わざわざ雨に打たれる。濡れているが、実は濡れていないオレ。ふふふ木の下の愚人どもよ。わたしは水に濡れません。
雨やんで、地固まるまでもなく再開。地元の不良たちが我が脚技をとくと観るがよいと言わんばかりに玉を蹴り始めた。適当にチームを作り、わーわー戦う。あーもう走れない。ファビオと僕は、金曜日に迫った撮影の話をするため、我が家へ。玄関の前できちゃない靴を脱ぎ、すぐにシャワーを浴びて、お茶を飲む。ぷはぁと。
「あ、ない!ないないない!」
ファビオが鞄の中を漁っている。この「ないないない」こそ、見慣れた日常風景。ファビオと一日一緒にいると、こうして「ないない」と体中を探し回り、問題の財布は必ずどこかのポケットに入っている、ということが何度もある。あぁまた財布か。
「ないない!めがねがない!」
今日はめがねらしい。
「ないないー」
「みえないー」
今日はいつもよりないないが長い。
「お前、どうせ家に忘れたんでしょ」
「いや違う、ゴールの横でたしかに柱のところへ置いた記憶がある」
「まさか忘れないでしょう」
「いや、自分のことです、忘れたに違いない。ないないない」
5分後。
もう動かないファビオ。
「今日は人生で一番哀しい日だ」
もう動かないファビオ。ちわわのような目で僕を見ている。
「わかったよ、一緒にグランドいって探せばいいんだろう」
「来てくれるのか?おおお」
「嫌だなぁ。寒いし。遠いし」
***
夜のグランドは、どんよりとした闇に包まれていて、どこか薄気味が悪かった。
「一人で来てたら大変だった」
「あぁ、こんな恐ろしい場所へ」
懐中電灯を照らし、茂みの中を歩く。
「確かここで小便をした」
「はやく見て来い」
ごそごそ
「ない。ないない」
次は木の下へ。
「ここが一番あやしい」
「ない。ないない」
どーん。どーん。どこかで誰かがボールを蹴るような音がする。
「誰かいるんじゃないか」
「電灯を消せ」
「悪い人かもしらん」
グランドに出てみるが、誰もいないようだ。
「気味が悪いな」
さっきゲームをした別のグランドに移る。

「あー!」
ファビオが見つけたのは、10枚入りレストランのお食事券。の、抜け殻。
「あぁ…」
「お前のか?」
「会社の昼飯手当てが、10日ぶん盗られてしまった」
「それは哀しい」
「あぁ私は本当に馬鹿です」
とぼとぼ歩く。
観客席のほうも歩く。
「ないなー」
「ないない」
「要!」
「ん!」
いそいで手の懐中電灯を消す。乞食が寝ていたのを起こしてしまった。
「すみません」
早歩きで逃げる。
どーんどーん。誰もいないのにサッカーの音がきこえる。
「何か気味が悪いなここは」
「しっ!」
「どうした」
「今、誰かが咳をしたのが聞こえた」
「嘘だ」
「ほんとだ」
「逃げよう」
「一目散」
***
外。
「それにしても、気味がわるい」
「ホラー映画でも書くか」
「いいね。殺人事件でもいい。」
「とある夜」
「とあるサッカー場」
「乞食は見た」
「野外セックス中の不良カップルは見た」
「グランド前に聳え立つアパートの住民の一人は見た」
「そして、眼鏡をさがすブラジル人留学生と日本人は見た」
「がははそこがオリジナル」
「不気味なサッカーボールの音」
「おおお、おそろし!」
「ところで彼らは何を見た」
「殺人でしょう」
「殺人じゃぁ面白くない、UFOだ」
「UFOじゃぁ面白くない、もっとすごい怪奇現象だ」
「犬を見た」
「がはは。鳥を見た」
「がはは。白黒テレビの不法投棄をみた」
「がはは。ブラジル人の国外撤去の紙をみた」
「がはは」
しーん
「今日は人生で一番哀しい日だ」
「あ!」
道端に、キレイなDVDの棚が二つ。
「おれ、これもって帰る」
「おれも」
「おい、真似か!」
「だって二つあるじゃないか」
「そうだな」
「折半であるよ」
「承知」
よいしょ。
「重いな案外」
自転車の僕。
「これをもって帰るのは至難の技だ」
「みろ、こうやってこう」
「なるほど」
「賢いファビオ」
「じゃぁファビオ、オレはここで引き返す」
「え、メトロまで送ってよ」
「やだよ棚が重いから」
「来てよ」
「やだよ。ってメトロ、こっから見えてるじゃんあれだよ」
「見えないよ」
「だって眼鏡がない」
「がはは」
「とほほ」
「まぁいいや、今日は棚が手に入った」
「そう、この棚と眼鏡とお食事券セットを交換したのさ」
「割に合うかな」
「合っているよ」
「じゃ、また来週」
などと言って別れたのである。
***
帰宅。
棚を持って階段を上る。
あ。

玄関前。靴を脱いだ時か。
あまりに滑稽なので、携帯で写真を撮る。
おしっこおしっこ。
トイレに入ると、汗まみれなファビオのTシャツが放置されていた。
シャワーを浴びた時か。
本当に何本もネジが抜けた男である。
アルザス地方から留学…、いや失礼、上京してきたグレッグに出会う前に、実はもう一つの大きな出会いがあった。200人の中に5人だけ紛れた僕ら外国人軍団において、唯一アメリカ大陸からやってきたのが、ブラジル人ファビオである。本名をファビオ・ブラジルという、それ自体がジョークのようなヒゲ男は、当時19歳ながら、すでに35歳の容貌をしていた。何でもご両親の仕事の都合でフランスに連れてこられたらしい。
入学して間もなく、秋が来る。日は短くなり、気温がどんどん下がっていく。フランス人の色彩感覚は日本とずいぶん違い、白黒グレー、落ち着いた色を好む人が多く、それがシックな印象を与えるのかなぁなどと、やっぱりちょっと服装が違う自分を鏡に写しては、フランス人らにバカにされるんじゃなかろうか、そんなことを考えたりしていた。その頃ファビオはというと、小心な僕の悩みなどお構いなく、蛍光黄緑のシャツ、アロハ柄の短パン、伸ばしっぱなしのヒゲ。コパカバーナ!というような感じでぶりんぶりんしている。おまけに9時の授業には9時45分くらいに入ってくるので、クラス中の視線がファビオに注がれ、皆クスクス笑っている。僕は同じ外国人として、ファビオからしたらいい迷惑だが、何となく気恥ずかしい気分になった。

大学で一度体系的にフランス語を学習をしている僕だが、文章を書くこと、自分のいいたいことを言うことの二点が何となくできた程度で、聞き取りと読みが全くできず、授業は全く理解できなかった。何を言っているか分からないので、ノートをとることができない。聞こえた単語だけを書いても「ノート」にならない、じゃぁ日本語に訳してみれば…などとやっても次々に話題が変わって迷子。1コマ終えると、決まって大きな無力感に包まれ、とても復習しようなどという考えはわかず、テストとなれば0点に近い結果を連発した。
翻ってポルトガル語を操るファビオはというと、フランス語をほとんど学んだことがないのに、先生の言っていることが何となく理解できてしまう。しかも、分厚い本だって勘で読めてしまうのだ。これには大いに嫉妬した。だが、ファビオの欠点は書くことと話すこと。おまけにポルトガル語の訛りがあって、フランス人はファビオの言うことが全く理解できないようであった。
僕らの問題点は凹凸して補い合い、すぐに仲良くなった。授業の合間に時間ができると、いつも徒歩10分の僕の家に行き、お茶を飲んだりした。ただ、フランス人に分からないファビオのフランス語を、僕がちゃんと理解できるわけがない。おまけにこのファビオ、英語も非常に下手であった。身振り手振りで色々会話するのだが、よく分からない。おやつを食べたりして時間をつぶす。お互い通じないが一生懸命。ジャズ系の音楽が好きなのが共通項で、一緒に聴いたりして、夜は緒にパーティに繰り出したりして、本当によく笑った。
「外国人だから」というのは、煩わしい面も大きい分、考え方によっては非常に強力な武器であり、僕らはこれを有効活用した。訳の分からないフランス語を駆使して周囲を巻き込み、いつだって僕らのペースに持って行くよう頑張った。そうして二人三脚して、友人でありライバルという関係が生まれた。
あれから4年たって、すっかりフランス語が上手になった僕らの中に今もあるのは、「フランス人には負けない」という雑草魂である。困った僕らをいつも助けてくれたのはフランス人だったが、彼らの中で思うように表現できず、苦い経験もたくさんした。ファビオは今、映像作家として小さな企業ビデオなどを撮るまでに成長。僕もそれを技術的に手伝う傍ら、撮影助手としてプロの現場に入り込んだ。そして現在、二人は「滞在許可証」という大きな壁に直面し、もがいている。それぞれに解決策を見出し、結果を待っているところである。
グレッグと並び、僕のフランス親友の一人である。僕ら3人の間にはいつも、いつの日か3人とも別々の国で人生を過ごすかもしれないという緊張感がある。だからこそ今を楽しもうと思って、暇があってはそこいらをブラブラし、相変わらず笑って笑って笑っているのである。
入学して間もなく、秋が来る。日は短くなり、気温がどんどん下がっていく。フランス人の色彩感覚は日本とずいぶん違い、白黒グレー、落ち着いた色を好む人が多く、それがシックな印象を与えるのかなぁなどと、やっぱりちょっと服装が違う自分を鏡に写しては、フランス人らにバカにされるんじゃなかろうか、そんなことを考えたりしていた。その頃ファビオはというと、小心な僕の悩みなどお構いなく、蛍光黄緑のシャツ、アロハ柄の短パン、伸ばしっぱなしのヒゲ。コパカバーナ!というような感じでぶりんぶりんしている。おまけに9時の授業には9時45分くらいに入ってくるので、クラス中の視線がファビオに注がれ、皆クスクス笑っている。僕は同じ外国人として、ファビオからしたらいい迷惑だが、何となく気恥ずかしい気分になった。

ワールドカップでフランスに負けたときのファビオ
大学で一度体系的にフランス語を学習をしている僕だが、文章を書くこと、自分のいいたいことを言うことの二点が何となくできた程度で、聞き取りと読みが全くできず、授業は全く理解できなかった。何を言っているか分からないので、ノートをとることができない。聞こえた単語だけを書いても「ノート」にならない、じゃぁ日本語に訳してみれば…などとやっても次々に話題が変わって迷子。1コマ終えると、決まって大きな無力感に包まれ、とても復習しようなどという考えはわかず、テストとなれば0点に近い結果を連発した。
翻ってポルトガル語を操るファビオはというと、フランス語をほとんど学んだことがないのに、先生の言っていることが何となく理解できてしまう。しかも、分厚い本だって勘で読めてしまうのだ。これには大いに嫉妬した。だが、ファビオの欠点は書くことと話すこと。おまけにポルトガル語の訛りがあって、フランス人はファビオの言うことが全く理解できないようであった。
僕らの問題点は凹凸して補い合い、すぐに仲良くなった。授業の合間に時間ができると、いつも徒歩10分の僕の家に行き、お茶を飲んだりした。ただ、フランス人に分からないファビオのフランス語を、僕がちゃんと理解できるわけがない。おまけにこのファビオ、英語も非常に下手であった。身振り手振りで色々会話するのだが、よく分からない。おやつを食べたりして時間をつぶす。お互い通じないが一生懸命。ジャズ系の音楽が好きなのが共通項で、一緒に聴いたりして、夜は緒にパーティに繰り出したりして、本当によく笑った。
「外国人だから」というのは、煩わしい面も大きい分、考え方によっては非常に強力な武器であり、僕らはこれを有効活用した。訳の分からないフランス語を駆使して周囲を巻き込み、いつだって僕らのペースに持って行くよう頑張った。そうして二人三脚して、友人でありライバルという関係が生まれた。
あれから4年たって、すっかりフランス語が上手になった僕らの中に今もあるのは、「フランス人には負けない」という雑草魂である。困った僕らをいつも助けてくれたのはフランス人だったが、彼らの中で思うように表現できず、苦い経験もたくさんした。ファビオは今、映像作家として小さな企業ビデオなどを撮るまでに成長。僕もそれを技術的に手伝う傍ら、撮影助手としてプロの現場に入り込んだ。そして現在、二人は「滞在許可証」という大きな壁に直面し、もがいている。それぞれに解決策を見出し、結果を待っているところである。
グレッグと並び、僕のフランス親友の一人である。僕ら3人の間にはいつも、いつの日か3人とも別々の国で人生を過ごすかもしれないという緊張感がある。だからこそ今を楽しもうと思って、暇があってはそこいらをブラブラし、相変わらず笑って笑って笑っているのである。
映画学校に入って間もなく、アルザス地方はストラスブール出身のグレッグという男と仲良くなった。
ドイツに占領されては奪還するという歴史を繰り返し、今も同胞のフランス人にさえ、「いや何を言うんだ君、アルザス地方は僕らの仲間になったんだ」などと、どうも「元をたどればガイジン」みたいに言われることが多いアルザス地方。例えば、実際はそんなに寒くないのに「アルザスでは冬になると大雪で車が走れない」というように思われていたりする。東方へ、遠くライン川のほとり、ドイツ人のような言葉を操る民アルザス人。そこでは、人は日々シュークルートという名の山盛り豚料理をほお張り、ビールを飲んでは踊り、楽しく暮らしているらしい。へぇアルザスから来たのか、遠いところをご苦労様です。…彼らはそういうステレオタイプを頭から被り、「パリジャンは気にくわねぇ」と、アルザスへの愛郷心と首都羨望の狭間で生活しているのである。それは丁度僕らが、毎日魚を生で食べ、空手や柔道を愛し、ルイ・ヴィトンを買うため群れをなし、過激なアニメに傾倒し、仕事のストレスから日々自殺のことだけを考えて生活していると思いこまれ、「いや、違うんです、確かにそういう面もあるけれど、僕の人生は少なくとも、はい、少しだけチガウ」などと弁解してやまない、この痒い思い。アルザスの民は、これを共感してくれる、数少ないフランス人なのである。

映画学校に入る前の二年間、外国語大学に在籍しただけあって、体系的に日本語を学習したことが一度もないとは思えぬほど、グレッグは流暢に日本語を操るようになった。僕がフランス語に興味を持ってどんどん言葉を吸収していくのと、ちょうど同じ要領で学んでいるようなのである。未だ平仮名の「あ」すら書けないが、例えば初対面の日本人に向かって、「カベニミミアリ、ショジニメアリ」などと、良いタイミングで言い放ったりする。面白くなって色々教えている内に、「グレッグ弁」みたいな新しい日本語が生まれ、それは二人の間で隠語として機能するようになった。例えばパーティに呼ばれた時など、
「シロオンナ(金髪の女)、トッテモワルイ、アタマ!」
「カナメ、イクジナシ、ハズカシ」
という按配である。
このグレッグ、映画学校を首席で卒業した優等生。僕の3年間は彼のノートをコピーすることに一生懸命で、それだけでフランス人の中にいてもまぁまぁの成績で修了することができた。そして僕が照明から現場の門を叩いたのも、照明技師になりたいというグレッグの情熱に押されたところが大きい。2年生のころ、同じ時期に違う機材屋で研修をし、別々に現場でのコネを作っていった。僕が本望のカメラに移ってからは、些細な企画ではあれど、プロの枠で少しづつコンビで仕事を受注するようになってきた。卒業から1年、すぐに現場で仕事が出来るようになったのは撮影コースで3人だが、その中に撮影の僕と照明のグレッグが一緒に入っているのは、友人として助け合った結果であるし、ライバルとして切磋琢磨したお陰である。忙しくなると、友人として以上にプロの付き合いにならざるを得ないことがあり、喧嘩することも多いが、このバランスを保ちつつ、二人でフランス映画を担う新しい世代に貢献できたらいいなぁ。なんて。
次回は、映画学校でのもう一つの大きな出会いを紹介したい。
ドイツに占領されては奪還するという歴史を繰り返し、今も同胞のフランス人にさえ、「いや何を言うんだ君、アルザス地方は僕らの仲間になったんだ」などと、どうも「元をたどればガイジン」みたいに言われることが多いアルザス地方。例えば、実際はそんなに寒くないのに「アルザスでは冬になると大雪で車が走れない」というように思われていたりする。東方へ、遠くライン川のほとり、ドイツ人のような言葉を操る民アルザス人。そこでは、人は日々シュークルートという名の山盛り豚料理をほお張り、ビールを飲んでは踊り、楽しく暮らしているらしい。へぇアルザスから来たのか、遠いところをご苦労様です。…彼らはそういうステレオタイプを頭から被り、「パリジャンは気にくわねぇ」と、アルザスへの愛郷心と首都羨望の狭間で生活しているのである。それは丁度僕らが、毎日魚を生で食べ、空手や柔道を愛し、ルイ・ヴィトンを買うため群れをなし、過激なアニメに傾倒し、仕事のストレスから日々自殺のことだけを考えて生活していると思いこまれ、「いや、違うんです、確かにそういう面もあるけれど、僕の人生は少なくとも、はい、少しだけチガウ」などと弁解してやまない、この痒い思い。アルザスの民は、これを共感してくれる、数少ないフランス人なのである。

日本に遊びに来て、大阪の親友と妙に打ち解けあったグレッグ
映画学校に入る前の二年間、外国語大学に在籍しただけあって、体系的に日本語を学習したことが一度もないとは思えぬほど、グレッグは流暢に日本語を操るようになった。僕がフランス語に興味を持ってどんどん言葉を吸収していくのと、ちょうど同じ要領で学んでいるようなのである。未だ平仮名の「あ」すら書けないが、例えば初対面の日本人に向かって、「カベニミミアリ、ショジニメアリ」などと、良いタイミングで言い放ったりする。面白くなって色々教えている内に、「グレッグ弁」みたいな新しい日本語が生まれ、それは二人の間で隠語として機能するようになった。例えばパーティに呼ばれた時など、
「シロオンナ(金髪の女)、トッテモワルイ、アタマ!」
「カナメ、イクジナシ、ハズカシ」
という按配である。
このグレッグ、映画学校を首席で卒業した優等生。僕の3年間は彼のノートをコピーすることに一生懸命で、それだけでフランス人の中にいてもまぁまぁの成績で修了することができた。そして僕が照明から現場の門を叩いたのも、照明技師になりたいというグレッグの情熱に押されたところが大きい。2年生のころ、同じ時期に違う機材屋で研修をし、別々に現場でのコネを作っていった。僕が本望のカメラに移ってからは、些細な企画ではあれど、プロの枠で少しづつコンビで仕事を受注するようになってきた。卒業から1年、すぐに現場で仕事が出来るようになったのは撮影コースで3人だが、その中に撮影の僕と照明のグレッグが一緒に入っているのは、友人として助け合った結果であるし、ライバルとして切磋琢磨したお陰である。忙しくなると、友人として以上にプロの付き合いにならざるを得ないことがあり、喧嘩することも多いが、このバランスを保ちつつ、二人でフランス映画を担う新しい世代に貢献できたらいいなぁ。なんて。
次回は、映画学校でのもう一つの大きな出会いを紹介したい。
僕の通った映画学校は、学年200人超で、パリの映画学校の中では最も規模が大きい。日本人1人、韓国人2人(1人は即中退)、中国人1人、ブラジル人1人、あとは全員フランス人であった。パリには他に、「インターナショナル」と名のつく映画学校もあり、そこでは外国人が学び、英語での授業さえ行われていて、中国に新校舎を建てたりしているようである。純フランス学校を選んだため、ここでは言葉が出来なくても一フランス人として扱われる。だからテストでは20点満点の3点や5点などを連発し、友人と朝の挨拶をかわすのさえ億劫になって、「留学」という言葉から想像できる通りの苦労をした。せっかくならインターナショナルな学校にすればよかったのに、と思われるかもしれない。実は日本で大学に通っていた頃、メールで様子を伺っていた現地の日本人の方がいて、彼女がこのインターナショナルな映画学校を出ていたため、先輩と全く同じことをしてもなぁ…という気分と、せっかくアメリカじゃない国で映画をやるんだからなぁ…という気分とで、あまり迷うことなく、純フランス学校を選んだのだった。
そうした中、本当に運が良かったなと思うのは、卒業後も映画の現場で仕事を共にしている二人の親友に、かなり早い段階で出会うことができたことである。今回はその一人を紹介しようと思う。
「おまえどこ住んでるの?」
「Conventionテイウトコデス。」
「あぁそう、それならあいつもあっちにすんでるらしいよ。おい、グレッグ!」
ということでヘラヘラと寄ってきたのが、別のクラスだったグレッグである。彼の顔を見てすぐ僕は、遠藤周作の『おバカさん』(角川文庫)の表紙を思い出した。背がぬらりと高く、いかにも「ガイジン」といって日本人が想像しそうな顔をしている。

ストラスブールという東方の偏狭から上京してきたばかりの彼もまたパリでは異邦人であり、人の輪が出来ていなかったというお互いタイミングから仲良くなった。
(つづく)
そうした中、本当に運が良かったなと思うのは、卒業後も映画の現場で仕事を共にしている二人の親友に、かなり早い段階で出会うことができたことである。今回はその一人を紹介しようと思う。
「おまえどこ住んでるの?」
「Conventionテイウトコデス。」
「あぁそう、それならあいつもあっちにすんでるらしいよ。おい、グレッグ!」
ということでヘラヘラと寄ってきたのが、別のクラスだったグレッグである。彼の顔を見てすぐ僕は、遠藤周作の『おバカさん』(角川文庫)の表紙を思い出した。背がぬらりと高く、いかにも「ガイジン」といって日本人が想像しそうな顔をしている。

ストラスブールという東方の偏狭から上京してきたばかりの彼もまたパリでは異邦人であり、人の輪が出来ていなかったというお互いタイミングから仲良くなった。
(つづく)
照明パートを離れ、カメラを扱う撮影部へと完全に移動してからしばらく、仕事がほとんどなくなって途方に暮れた。専門学校の3年間も無事に修了してしまい、学生ビザ延長のために大学に編入するも、「映画の現場で仕事をしたい」という動機でフランスに残っているはずが、「ビザのためだけに登下校を繰り返す」という悪循環にはまりこんでしまった。何とか前期の試験までは辛抱して通い続けたが、のびのびと現場に入っていく専門学校の友人たちを羨ましく眺め、「なぜ僕だけが、外人であるが故にこんな苦い思いをせねばならんのだ」と強く感じるようになってきた。

そんな頃である。カメラ・メーカー最王手PANAVISION、レンタルハウスでの研修の話がきた。星の数ほどあるフランスの映画学校、そこで撮影を学ぶものなら誰もが一度は履歴書を送る名門。照明のアシスタントとして現場で働き始めた2006年から、何度も履歴書を持ち込んでは断られてきたのだ。
ただ、僕にはこれを躊躇する理由があった。一ヶ月の不登校は、来年度の学生ビザ更新を断念することを意味する。海外生活での第一の大きな壁は、「学生から長期滞在者へ」の身分変更であり、この時点で僕には、何の当てもなかった。残りの半年で、何かきっかけが見つかるだろうか。これが一番の賭けとなる点であった。
それに加え、現実的な問題として、一ヶ月の無給研修を受け入れるのは苦しかった。電車賃も、食費も、何も出ない。この研修、色々な見方があるが、一言で言ってしまえば、「機材屋に一ヶ月間公式に居座ることが出来る」というプログラムである。確かに僕の担当者は存在するが、彼らが僕にはりついて何かを教えてくれることはない。機材屋で行われる全ての活動を妨げない範囲で、自主的に観察することで学ぶ、これが研修の一日である。

気が進まないまま開始した研修だったが、それまでに見てきた全ての撮影の総復習として大変勉強になったし、多くの技術者との再会の場となった。そして研修の最終週、期間中に出会った撮影助手に誘われ、CMの撮影現場へと再び足を踏み入れることにつながった。不安は拭えない。大学を中退するという決断は、海外生活の終止符を打つことと同義語かもしれない。
ただ、現場に入ることを夢見てここまでやってきたので、やっと転がり込んできたチャンスを、みすみす見送るようなことは出来なかった。新学期が始まり、友人の中には「登録くらいはしておけ」「試験くらいは出ておけ」と忠告てくれる優しい者もいたが、やっと仕事が始まったという歓喜に逆らうことなど到底できず、電話が鳴るたびに、雨の日も風の日も、僕はカメラのある場所に足を運んだ。

横長のセットで…
そんな頃である。カメラ・メーカー最王手PANAVISION、レンタルハウスでの研修の話がきた。星の数ほどあるフランスの映画学校、そこで撮影を学ぶものなら誰もが一度は履歴書を送る名門。照明のアシスタントとして現場で働き始めた2006年から、何度も履歴書を持ち込んでは断られてきたのだ。
ただ、僕にはこれを躊躇する理由があった。一ヶ月の不登校は、来年度の学生ビザ更新を断念することを意味する。海外生活での第一の大きな壁は、「学生から長期滞在者へ」の身分変更であり、この時点で僕には、何の当てもなかった。残りの半年で、何かきっかけが見つかるだろうか。これが一番の賭けとなる点であった。
それに加え、現実的な問題として、一ヶ月の無給研修を受け入れるのは苦しかった。電車賃も、食費も、何も出ない。この研修、色々な見方があるが、一言で言ってしまえば、「機材屋に一ヶ月間公式に居座ることが出来る」というプログラムである。確かに僕の担当者は存在するが、彼らが僕にはりついて何かを教えてくれることはない。機材屋で行われる全ての活動を妨げない範囲で、自主的に観察することで学ぶ、これが研修の一日である。

横移動… すること120回以上。
気が進まないまま開始した研修だったが、それまでに見てきた全ての撮影の総復習として大変勉強になったし、多くの技術者との再会の場となった。そして研修の最終週、期間中に出会った撮影助手に誘われ、CMの撮影現場へと再び足を踏み入れることにつながった。不安は拭えない。大学を中退するという決断は、海外生活の終止符を打つことと同義語かもしれない。
ただ、現場に入ることを夢見てここまでやってきたので、やっと転がり込んできたチャンスを、みすみす見送るようなことは出来なかった。新学期が始まり、友人の中には「登録くらいはしておけ」「試験くらいは出ておけ」と忠告てくれる優しい者もいたが、やっと仕事が始まったという歓喜に逆らうことなど到底できず、電話が鳴るたびに、雨の日も風の日も、僕はカメラのある場所に足を運んだ。
できあがりはこちら。アシスタントとして参加した Numericable のCMです。div>




